天気 :11日 晴れ後曇り、12日 曇り
メンバー:ひとり
行程 :11日 黒木登山口11:10→経ヶ岳13:10→多良岳15:40→黒木登山口17:30
:20日 矢岳駐車場.7:10→(妙見岳~周回コース)→10:10普賢岳→(妙見岳)→11:30仁田峠→13:40大野木場
翌週長崎で前日入りが必要な現場仕事があって、週末入りで長崎の山に登ってきました。
今回は長崎空港近くで歩き甲斐のありそうな「経ヶ岳~多良岳」と、島原半島にある有名な「雲仙普賢岳」を訪れました。
<山行記録:1日目 経ヶ岳~多良岳>
仕事の関係で中々行く機会のない長崎を訪れる機会ができた。
週末と連続する日程でもあったので、折角の機会にと、山歩きを計画した次第である。
始発電車で羽田に向かって早朝の飛行機で長崎空港に降り立ち、迅速にレンタカーの手続等を済ませたが、
出発は朝10時過ぎになってしまった。
さて、全2日間の休暇のうち1日は雲仙普賢岳登山と雲仙温泉への立ち寄りに決めていた。
もう1日をどうしようかと地形図を眺めていたところ、大村空港から程近くに登り甲斐のありそうな多良岳山系を見つけ、
1日目は経ヶ岳~多良岳を縦走する計画に決めた。
(本当は時間をかけて五家原岳を含めて縦走したかったが、なんせ時間が足りないので上記2座を巡るコースとした。)
多良岳に登る黒木登山口に到着すると予想に反して駐車場が自動車でほぼ埋まっており、これは私の予想外であった。
(この時は分かっていなかったが、後ほど多良岳に登ってその理由に納得することになる。)
丁度1台分スペースが空いていたので、そこに車を停めて、まずは舞岳経由で経ヶ岳を目指すことにした。
道は序盤からかなりの急登であった。足が売り切れていない序盤であったのでそれほど苦では無かったが、
もし登山の中盤以降でこの急登に出くわしていたら中々骨が折れていたに違いない。
舞岳に登ると木々の隙間から経ヶ岳山頂を俯瞰できた。
でっぱりが突き出たような山容から最後は中々の急登が待ち構えているに違いないと思った。
経ヶ岳直下は予想通り急登が待ち構えていたが、長くは続かず、登山開始から約2時間、目的地の経ヶ岳山頂に立つことができた。
山頂からはこれから歩くであろう多良岳へと延びる稜線と明日登山を予定している雲仙普賢岳を望むことができた。
山頂では地元のご年配夫婦がランチを楽しんでおり、私も隣でランチタイムとした。
この時点で島原方面や佐賀方面は大分曇っていたが、山頂の真上は比較的青空が見えて心地が良かった。
ランチを済ませて多良岳に向かう。登る前に俯瞰していた稜線は、見た目の通り起伏が激しく、結構な体力を削らされた。
経ヶ岳から2時間近く歩き続けて疲れが見え始めてきた頃、突然目の前に立派な石段と灯篭、そして鳥居が現れた。
見たところ相当な年季が立っているようであった。江戸時代の頃のものだろうか。
少し登っていくと、中々お目にかかれない規模で石像や史跡が次々と現れて目を奪われた。
山の位置づけが”多良岳>経ヶ岳”で、この山がメインに推される理由が解った。
最後の急登を登り上げ、ようやく多良岳山頂に到着、山頂には石でできた立派な祠があり中には鏡が奉られていた。
残念ながら天気は曇天で全く映えないが、もし晴れていたばここからの景色も中々のものであったろう。
俯瞰すると雲仙岳、諫早市街、巨大堤防等が見えた。
巨大堤防については帰宅後に諫早干拓のドキュメントを観たが、(ドキュメントを観た限りでは)誇れるものでは無さそうに感じた。
さらに進むとハシゴがあってその上が座禅岩であった。
正面に前岳が聳え景色も開けていたが、残念ながら空は厚い雲に覆われた曇天だったので感動は得られなかった。
前岳に登頂した後、巻き道で金泉寺を目指した。
金泉寺は中々立派な規模の「寺院」であった。先ほどは「鳥居」。ここで「神仏習合」に気づかされた。
(他の神社/寺と同様、明治時代に切り離されてしまったようだが、かつて「多良岳大権現」として栄えてたようだ。)
金泉寺の隣には金泉寺山小屋があり、通りかかるとご主人が「お疲れ様!下山長いけど頑張って!」と嬉しくも労いの言葉をかけてくれた。
金泉寺と黒木集落を結ぶ沢沿いに延びた登山道を経て下山すると、駐車場には私の車しか残っていなかった。
予習もせず普通の里山だと思って登った「経ヶ岳~多良岳」であったが、メリハリのある山歩きと歴史が楽しめ、予想以上に充実した山行になった。

写真:登山開始前に撮影した経ヶ岳~多良岳の端麗な稜線。
<山行記録:2日目 雲仙普賢岳>
大村市を夜明け前に出発、朝6時頃に小浜温泉「おたっしゃん湯」に立ち寄ったが、ここがとても素晴らしかった。
塩分を含んだとろみを感じさせるお湯に大変趣のある施設、温泉が生活の一部であるこの街の日常を垣間見れた気がした。
その後、身体が温泉でポカポカの状態の中、一気に車で標高を上げながら雲仙温泉郷を目指した。
雲仙温泉郷に到着すると、地獄地帯の雰囲気は最高ながら予想以上に観光客が多く、駐車場も軒並み有料だったので、
観光は諦め、車が停められる矢岳駐車場へと向かった。
普賢岳に登るだけなら仁田峠駐車場を利用するのが最適だが、それだけでは物足りないので、
矢岳駐車場をスタートして普賢岳を目指し、ゴール地点を仁田峠から先の大野木場に定め、路線バスで矢岳駐車場付近のバス停まで戻ってくる縦走計画とした。
この日は曇り予報であったが、早朝に限っては青空が広がっていた。
1時間程上り坂を歩き続けて仁田峠に到着した。車が殆ど止まっていなかった。
後で分かったが、仁田峠(有料道路)は朝8時に開場されるようであった。
仁田峠から妙見岳までは標高差250m程でロープウェイでも上がれるが、営業前なので今回は歩いて山頂を目指した。
妙見岳と最終目的地である普賢岳は標高差があまりないので、妙見岳からほんのわずかで普賢岳頂上に到着できるものと思い込んでいたら、
行く手には頭一つ抜きん出ている普賢岳(昭和新山)と、そこそこ深そうな谷がお目見えし、
登頂までには登り返しも含めてここからまだ2時間近くかかりそうであることを悟った。
一旦150m程下って一方通行(時計回り)の登山道を進む。
途中風穴があり解説を読むと、江戸時代以前、養蚕用の天然の冷蔵庫として重宝されていたようで、
こんな山奥にまで人の手が入り込んでいたことに驚かされた。
こういった天然の冷蔵庫は全国の限られた場所にしかない訳で、かつては大変貴重な天然施設であったことが伺えた。
昔の山での生活は一体どういったものであったのだろうか。
その後少しづつ登り上がり、立岩の峰付近で朝食とした。
朝食はセールで160円のおにぎり弁当。(安くて助かる!)
それにしてもいつの間にかコンビニのおにぎりが高級総菜になってしまった......。
休憩地点から30分ほど歩くと標柱が見えたが、それは皇室の誰かの登山記念に建てられたものであった。
本物の普賢岳の標柱はそこから5分程歩いたところに設置されていた。
平成新山をバックに写真を撮ったが、曇天だとどうにも景色が映えないものだ.......。
ここに至るまで殆ど人と出会わなかったので静かな山頂を楽しめていると思いきや、山頂はハイキングを楽しむ方々でかなり賑わっていた。
一方通行の区間は風穴から立岩の峰までの区間であったようで、紅葉茶屋を経由して反時計回りで山頂に至るコースが一般的なようであった。
以前であればアザミ谷を経由して仁田峠に向かうことができるが、残念ながらアザミ谷~紅葉茶屋間が崩落による通行止めで通れず、
今回は時間をかけて妙見岳に登り返してから仁田峠に戻らねばならない。
しかし登り返しに思ったほど時間はかからず、11時半には仁田峠に戻ってこれたので予定通り大野木場を目指すことにした。
仁田峠から大野木場への登山道に入ると一気に踏み跡が薄くなり、ひっそりとした空間が続いたが、道順を示す標識が所々に設置されていた。
何となく秋に歩いたら多くのキノコに巡り合えそうな雰囲気であった。
上大野木場からは車道歩きになり、1時間程歩き続けて無事バス停到着、バスに乗って駐車場に帰還、活動終了となった。
登山の後の温泉は今回雲仙温泉「ちょこっとよか湯」を利用したが、パワフルで新鮮な熱々の湯船で評判通りとても良かった。
レンタカー返却時間が迫っていたので、この後、慌ただしく山道具一式をヤマト運輸に預けてからレンタカーを返却、
長崎空港から空港バスに乗って、仕事現場である長崎市内に向かった。
1泊2日の長崎の旅であったが、経ヶ岳、多良山、雲仙普賢岳といずれも心に残る山旅ができたと思う。
次回再訪の機会があれば、次こそ快晴の雲仙普賢岳に登ってみたいものである。
また、グラバー園や平和記念公園等、1日かけて長崎市内を観光したり、更には佐世保、平戸、五島、壱岐等にも行ってみたいと思っている。
長崎にはまたいずれ再訪することになるだろう。
<今回訪れたエリアの地図>
